“脳”の限界を補うblog

“暗記言語”に潜む不完全性を補って、正しい意思決定を出来るようにするブログです!

十字架を背負って、免罪符を買う生き方の限界

僕が5歳の頃、交通事故にあった。

 

その時に父は十字架を背負ったのだと思う。

 

責任感の強い人だから、それを背負うことは辞めないかもしれない。

 

一度逃げ出した場所に戻るとき、

 

誰もが十字架を背負ってしまう。

 

一生かけて償う。

 

親に迷惑をかけて、

 

大人になって親孝行する。

 

辞めることができないのは、

 

自分自身が原因だ。

 

正直おかしいと思う。

 

もうゆるせば良いのに…

 

いつまで縛りあいをするのか。

 

許す余地が無くなってしまっている。今の限界。

 

人は人生で罪を犯し続けてて、

 

償った人にだけ発言権があるのか?

 

どれだけ苦労してるかが問題なのか?

 

99%の苦痛が1%の楽しさを作り出す。

 

その1%の果実を求めることに、もう疲れても良いんじゃないか。

 

100%楽しんでは駄目なのか。

 

いつまで縛り合いなんだ。

 

罪なんてものは最初から最後まで無い。

 

あるのはそう思うようにする、人間の約束体系だ。

 

罪と十字架と免罪符システムは、昔からずっと変わらない。

 

そのシステムはもう捨てるべきでしょう。

 

自立させようとするコミュニティに接続する

何か集団に属したなら、

 

その集団から何を学び、卒業してどこへ行くかも同時に考えなければならないことと思います。

 

その集団に属し続けるしか選択肢が無くなったとき、完全に自由を失います。

 

集団に属せば恩恵を受けられます。

本当は自分で考えなければならないことも、その集団が答えを与え、代わりに考えてくれるようになります。

そうなると自分の負担は減るし、楽になります。

 

そこに属せば属すほど、依存度は増していきます。だから、その集団が1個人を自立させようとしない限り、その個人はその集団から離れられなくなります。

 

家族、学校、地域、会社、団体、宗教、部活、サークル、国、様々な形で集団は存在します。

 

集団と個人の理想の関係性はお互いが引き合う事と、反発し合う事が同時にあることです。

 

お互いが必要とし合いながら、お互いを自立させようとすることと同じです。

 

どちらかに偏ると、リスクが高まり保身に走るようになります。

 

その偏りが増えていくにつれ、その集団は腐っていきます。

 

たがらこそ、”属す"というより”接続"という繋がり方のニュアンスが丁度良いように思います。

 

集団を選択する意志決定の判断基準として、その集団が個人に対してどう接するか、

そしてその集団の”教育力”がポイントになります。

 

 

 

 

目で見ると人間は1人。本当に1か?

人間の身体は本当に1個体なのか?

 

確かに目で見れば繋がっているように見えるけれど、

 

内面は自己の分離が激しく起きているのでないだろうか?

 

頭が考えることと、

 

喉が考えることと、

 

心臓が考えることと、

 

腸が考えることと、

 

性器が考えることは

 

みんなバラバラで、統率なんて全然取れて無いんじゃないか?

 

ということは身体1つの中に、臓器という他民族が複数住んでおり、身体とは他民族国家なのではないだろうか。

 

性器が倫理、道徳なんて考えない。

 

論理と感情はいつもぶつかり合い。

 

食欲や性欲は突如として発生し、

 

頭はそれをコントロールしようとする。

 

いつも身体や精神は戦争状態。

 

それらの統一国家を作ることが、

 

究極の健康かな。

 

 

"成績"を上げたいなら"認識"を変化させること

学校の成績を上げるうえで、"認識"の変化がどれほど大事なのか、ということを書いてみようと思います。

 

まず、例え話しから。

 

例えば、同じ教科書を2人の生徒が読んでいたとします。

 

1人はその教科書を、何の面白みもない、無味乾燥で無機質で、受験に必要だから仕方なく読んでおり、強制されなければ絶対読まないような本と思っている。

 

もう1人にとってはそれは物語で、読めば読むほど知らない事が溢れてきて、魅力的で凄いキャラクターがどんどん出てきて、世界が広がってワクワクするようなビックリ面白ボックスみたいに思っている。

 

どちらが本の内容を深く理解し、事細かに記憶しており、結果として成績が上がっていくのかは明白だと思います。

 

しかし、多くの場合、教科書はつまらないものであり、学校はつまらないものであり、それは当然の事と思っているから。

 

もっと面白い本は無いのか?

もっと面白い学校は無いのか?

もっと面白い先生はいないのか?

 

という疑問ばかりになります。

 

これが間違っている訳と言いたいのではなく、考え方が1次元的であると言えます。

 

もう1つの次元から、

 

簡単に言えばもう1つの角度から観れば、

 

教科書の面白みを観ることができなくなっている、自分自身の"認識"に問題がある可能性を考えるべきです。

 

後者のように教科書を観ることができれば、平坦な学習ではなく、波があり、抑揚があり、感情の動きを伴った楽しい学習になります。

 

そうなると自然に物事の理解は深まり、記憶も深まります。

 

結局は学ぶ人の"感動センス"が最も重要な要素です。そのセンスはつまり"認識"から来るものですが、高ければ高いほど、どんな教科書であれ、先生であれ、学校であれ、学習者は物凄い吸収力を発揮します。

 

そういう人は果てし無く賢くなっていきます。

 

教科書に感動する事ができない、感情の動きが伴わないのならば、

 

自分がかけているメガネによって物事を独断と偏見で観察しており、曇ってしまっている、と考えた方が良いです。

 

それは教科書だけでなく、人に対しても発揮するので、人間関係においても問題になります。

 

では、その"認識"を変化させるためにはどうすれば良いのでしょうか。

 

"認識"は様々な経験の中で偶発的に変化していくことはありますが、

 

意識的に、100%の再現性を持って変化させていくには、その技術を学ぶしかありません。

 

その技術は"認識技術"と言います。あるいは、観点を変化させる技術として、"観術"とも言います。

 

この技術は、人の認識を精密に理解し、誰でも自由自在に自らの認識を変化させることを可能にする技術です。

 

これからの学校で取り入れなければならない要素はこれにあると考えています。

 

良い学校

良い先生

良いテキスト

良い認識

 

によって未来の学校は完成します。

 

 

 

 

 

 

 

思われても、思わなければ現実は起こらない

誰かがあなたの事を奴隷のように思ったとしても、あなたがあなたを奴隷だと思わなければ奴隷にはならない。

 

誰かが機械のように思ったとしても、あなたがあなたを機械と思わなければ機械にはならない。

 

蔑まれたとしても、あなたがあなたを蔑まなければ、蔑んでいるとは言えない。

 

逆に

 

あなたが凄い人だと思われたとしても、あなたがあなたを凄い人だと思わなければ凄い人ではない。

 

あなたが神だと思われたとしても、あなたがあなたを神だと思わなければ神ではない。

 

逆に

 

あなたがあなたを凄い人だと思ったとしても、あなたが凄い人だと思われなければ凄い人ではない。

 

このようにして認識が現実を創ります。

 

 

 

しくみだいがく入試問題

しくみだいがく入試問題

大問①日常総合問題

(1)あなたがいま所属している組織を1つ選択し、その組織の価値または存在意義、その中での自分の価値または存在意義を答えて下さい。

(2)(1)の組織の問題点とその原因を答えて下さい。

(3)(2)その組織の問題を解決した先の理想の組織を描写して下さい。図や絵を用いても構いません。

(4)あなたが感じている人間関係のストレスを2つ挙げて下さい。1つ目は既に解決したもの、2つ目はまだ未解決のもので答えて下さい。また、解決したものはどのように解決したかまで書いて下さい。

(5)あなたが1つの問題を解決したことによって周りにどのような影響を与えたかを答えて下さい。


大問②自分

(1)真っ暗闇の空間にあなたがいます。
そこには光も物も生き物も人間も時間もエネルギーもありません。自分だけがいます。そのような時、あなたは何を考え、どのような気持ちになり、何をするのか、答えて下さい。


(2)(1)のような状況の中で、何か1つを創りだすことができるとしたら何を創りますか?また、創った後にどのようにするか答えて下さい。

(3)(2)で1つ創りだしたものはなぜ創ることができましたか?答えて下さい。

大問③人間関係

(1)人と人とのコミュニケーションを"お互いに何かを交換すること"とします。
最も理想とするコミュニケーションをしている1人の人物をイメージして、その人に対して何を提供し、その人から何を享受しているのか答えて下さい。またなぜその交換をしているのかも答えて下さい。

(2)その交換を社会全体で全ての人がしたとすると、どのような社会が形成されますか?答えて下さい。

(3)(1)では、コミュニケーションを"お互いに何かを交換すること"と規定しました。これ以外でコミュニケーションを規定し、その根拠を答えて下さい。

大問④時代

(1)近代と近代以前の違いを明確にし、近代とはどのような時代かを答えて下さい。

(2)"近代"の次はどのような時代になるかを答えて下さい。

(3)なぜ、どのように時代が変わるのかを物語って下さい。また、その際に時代の変化に最も重要なモノを明確にして下さい。

大問⑤宇宙

(1)"植物"を科学的な観点と、それ以外の観点からそれぞれ規定して下さい。
(2)"動物"を科学的な観点と、それ以外の観点からそれぞれ規定して下さい。

(3)未来に技術が発展して、惑星間を自由に行き来出来るようになった時、人は何をするべきかを答えて下さい。

 

 

"犬"はなぜ可愛くて美しく、愛されるのか

犬に限らず猫もそうだけれど、

 

可愛いかったり、カッコよかったり、キレいだったり、ブサイクだったりします。

 

これはなぜ?

 

シンプルに考えると、それは人間が見るからです。

 

もしカエルが見れば、可愛いくもなく、カッコよくもなく、キレいでもなく、ブサイクでもないでしょう。というかそんな風に見る概念もない。

 

では犬が白かったり、黒かったり、茶色だったり、模様があったり、フワフワしてたり、ゴワゴワしてたりするのはなぜ?

 

それも人間の目で見たり、人間の手で触れるからですね。

 

カエルの目で見たり、カエルの手で触れたりしても多少の違いはあるかもしれませんがそこまで識別しないでしょう。カエルが積極的に犬を見たり触ったりも普通はしません。

 

カエルにとっては、"動物"とか"犬"とかいう概念も無ければ、興味も無いし、ただ漠然と近づくと危険な存在にしか写ってないと思います。

 

もしこの世に人間がいなければ、"犬"という存在は、危険な存在か、犬同士であれば子孫を残す対象であったり、一緒に狩りをする仲間であったりする存在にとどまることでしょう。

 

人間の登場によって、より細かく識別される存在となった犬は、可愛いかったり、嗅覚が鋭いと褒められ、フワフワやゴワゴワになったり、様々な色を身に付けたりするようになります。

 

つまり"犬"をより繊細に識別する存在の登場によって、犬の新しい意味、価値、可能性が爆発的な広がりを見せています。

 

それは犬だけでなく、全ての存在に言えると思います。

 

"人間"自体も、その人間を認識する存在に起因して、新しい意味、価値、可能性が広がります。

 

ということは、人間そのものを新しく捉え直し、これまでとは全く違うように人間を認識をする存在が登場すれば、"人間"という存在も大きく変化するということになります。

 

そのようなことが今最も必要なことだと思いまふ。