テクノロジーによって作られる超格差社会。そこから脱却するためのblog

1.テクノロジー支配構造を知ること。2.自分のアルゴリズムを知ること。3自分のアルゴリズムを変化させる技術を得ること。

緊急事態であることを知る

テクノロジーは個人の力を拡張する。

 

そうなれば、優秀で少数の人間の力で大きな事を動かせるようになる。

 

社会全体を上手く機能させるために、多くの人間がいる必要が無くなる。

 

だから、必然的に社会的に不要な人間が出てくる。

 

そのような人間をどう扱うのかが社会問題になる。

 

そうなった場合の人間の尊厳は破壊される他ない。

 

鬱や自殺が増えていくのは必然。

 

いまこの瞬間もそのような人間は増え続けている。

 

のほほんとしている日本人はかなりの危なさ。

 

優秀な外国人労働者人工知能ロボット、に代替されていく人が大量発生する。

 

そこでショックを受けるが、どうしたら良いかがわからないから途方に暮れる。

 

多くの人間がこうなる。ここに対して問題意識を持たなければマジでやばい。

 

解決策はある。

 

社会的不要人材にならないために、成長というよりも、もっと大きい進化が必要。

 

いま緊急事態であることを知り、心の底からこの問題に対して向き合うべきです。

 

 

 

1番の問題は、元気がない。

まず何をやるにしても元気は必要ですよね。

 

子供達が成績を上げるために、どうすれば良いかわかったとしても、それをする元気が無ければやりません。

 

結果的に成績も上がりません。

 

社会人も同じで、いま人工知能外国人労働者など、働く上で競争は激しくなっています。

 

自己成長というのはとても大事ですが、それには学ぶためのモチベーションが必要です。

 

モチベーションとは元気ですが、そこが無いのが致命的です。

 

その元気の創り方。それを知ることがとても大事です。

 

私自身もモチベーションが高いという自負がありますが、それはn-techという技術で元気を日々創っているからです。

 

もう少し正しく表現すると、エネルギーを創っています。

 

人間の精神はとても面白いもので、無からエネルギーを創造することができるエンジンそのものです。

 

そのエンジンは誰でも等しく持っており、使い方さえ知れば誰でも出来るようになります。

 

そんな事を共有して、みんなで盛り上がっていきましょう!

令和、お祭り時代!

こんにちは!

 

今日は”お祭り”をテーマにブログを書こうと思います。

 

私がいま感じている社会を表現すると、”不穏”、”鬱屈”という感じです。

 

平成の時代は、全体的に不穏で鬱屈した社会だったと言えるかもしれません。

 

しかし、年号が変わった今、そんな社会とはもうオサラバしたいと思います。

 

特に5/1からは、新しく年号がスタートする年ですし、来年は東京オリンピックもあるし、どんどん日本の雰囲気がお祭りモードになれば良いと感じるこの頃です。

 

日本を盛り上げる!昔の私だったら、そんな事を本気で思えるほど自信が無かったでしょう。

 

でも今は、そこに対して明確に貢献できる自信と確信があります。

 

特に20代はまず先に、湧き上がれば良いと思います。

 

盛り上がるためには、どんな問題に対してアプローチするかの方向性と、それを必ず解決できる自分のアイデンティティーを持つことが必要です。

 

もう、みんな持ってしまいましょう!

 

大学院生の頃、明確な方向性も確信も無かった私は、人生で何をやっても無駄で虚しいものだと思い込み、鬱状態になっていました。

 

無論、そんな事はありません!人間の可能性は半端じゃないです!

 

このブログでは、もっともっと、その可能性を開くための言葉を発信していきます!

 

 

テクノロジーの発展が、そのままピラミッド格差構造を作っている話し

こんにちは!

今日はテクノロジーの発展が、そのまま新しいピラミッド構造の格差社会を作っているという事実について語ろうと思います。


いま、まわりを見てみるとわかるように人がスマートフォンやパソコンの中で過ごす時間はどんどん増えています。

インターネットやIotで、人やモノとどんどん繋がっていき、情報の交換がとても激しくなっています。つながればつながるほど、なんだか忙しくなり、ゆっくりと落ち着いて過ごす時間は少なくなりますね。

youtubeの動画、ところどころで出てくる広告が、ユーザーが次にどんな行動をしたら良いのか、おススメを提示してくれます。

自分で考えるよりも、スマホ、パソコンに中に潜むアルゴリズムが代わりに考えてくれており、その性能は日々日々高くなっています。

このまま進むと、生活はどのようになっていくと思いますか?

明日どのように過ごすか?という意思決定までも、例えばGoogleが開発したアルゴリズムが決定してくれるような未来になると私は思います。

しかしそれは言い方を変えると、自分がどのように行動するのか、という決定権をGoogleなどのアルゴリズム開発者に渡し委ねるということになります。

その開発者が全ての行動データを握り、行動する側は巧みに誘導されているので、自分がなぜこの行動を取るのかがわからないまま動いているという構造になります。

人間1人1人に行動、意思決定を行うアルゴリズムがあります。自分を動かしているものなのに、自分で把握せず他人が完全に把握している状態というのはなかなか恐ろしい事ではないでしょうか。

でもそれは、現実にその状態で、さらに強化され続けているという社会の流れがあります。

そのままの状態を放置していれば確実にその構造の中に取り込まれていくでしょう。


ところで、自分で意思決定せずAIに意思決定を任せていくようになると、どのような人生になるのでしょうか?

テクノロジーが発展すると人生は豊かで便利になり、人は幸せになるという論もあります。

しかし私は違う見解を持っています。

理由は複数ありますが、1つとても大事なのは、不安と恐怖から決して自由になれないということです。

私自身が大学生の時、最も欲しかったものは"確信"でした。自分の考え方に対して、生き方に対して、目指す方向性に対して、いまの行動に対して、良い未来が訪れて、自分自身がそれに参加でき、貢献することに対して、全てに確信が欲しかったんです。

それが得られずに、様々な考えや行動をしてみても自信は無く、いつも不安で、意味が無いんじゃないか、人に何を言われるんだろうとビクビクしている日常でした。

テクノロジーがどれほど発展し、高度な意思決定ができるようになったとしても、テクノロジーを信じる事はできるかもしれませんが、自分自身を信じることはできなくなります。

それが、不安•恐怖から自由になれない理由です。"確信"が不安を払拭し、不安を克服するために確信が必要です。


確信を得て、ピラミッド構造に取り込まれないためには、自己のアルゴリズムを理解し、変化させるようになることです。

20年以上前に、そういった事に対して問題意識を誰よりも早く持ち、その問題を解決する技術を完成させた人がNoh jesuです。

私もその技術を学ぶことによって、あらゆる物事に対して確信を持つようになりました。

 

テクノロジーを発展させる科学技術だけでは、人間の本質的な問題を解決することはできないでしょう。多くの人とまた話しをしていきたいですね。今日は以上です。ありがとうございました(^^)

 

自立させようとするコミュニティに接続する

何か集団に属したなら、

 

その集団から何を学び、卒業してどこへ行くかも同時に考えなければならないことと思います。

 

その集団に属し続けるしか選択肢が無くなったとき、完全に自由を失います。

 

集団に属せば恩恵を受けられます。

本当は自分で考えなければならないことも、その集団が答えを与え、代わりに考えてくれるようになります。

そうなると自分の負担は減るし、楽になります。

 

そこに属せば属すほど、依存度は増していきます。だから、その集団が1個人を自立させようとしない限り、その個人はその集団から離れられなくなります。

 

家族、学校、地域、会社、団体、宗教、部活、サークル、国、様々な形で集団は存在します。

 

集団と個人の理想の関係性はお互いが引き合う事と、反発し合う事が同時にあることです。

 

お互いが必要とし合いながら、お互いを自立させようとすることと同じです。

 

どちらかに偏ると、リスクが高まり保身に走るようになります。

 

その偏りが増えていくにつれ、その集団は腐っていきます。

 

たがらこそ、”属す"というより”接続"という繋がり方のニュアンスが丁度良いように思います。

 

集団を選択する意志決定の判断基準として、その集団が個人に対してどう接するか、

そしてその集団の”教育力”がポイントになります。

 

 

 

 

目で見ると人間は1人。本当に1か?

人間の身体は本当に1個体なのか?

 

確かに目で見れば繋がっているように見えるけれど、

 

内面は自己の分離が激しく起きているのでないだろうか?

 

頭が考えることと、

 

喉が考えることと、

 

心臓が考えることと、

 

腸が考えることと、

 

性器が考えることは

 

みんなバラバラで、統率なんて全然取れて無いんじゃないか?

 

ということは身体1つの中に、臓器という他民族が複数住んでおり、身体とは他民族国家なのではないだろうか。

 

性器が倫理、道徳なんて考えない。

 

論理と感情はいつもぶつかり合い。

 

食欲や性欲は突如として発生し、

 

頭はそれをコントロールしようとする。

 

いつも身体や精神は戦争状態。

 

それらの統一国家を作ることが、

 

究極の健康かな。

 

 

"成績"を上げたいなら"認識"を変化させること

学校の成績を上げるうえで、"認識"の変化がどれほど大事なのか、ということを書いてみようと思います。

 

まず、例え話しから。

 

例えば、同じ教科書を2人の生徒が読んでいたとします。

 

1人はその教科書を、何の面白みもない、無味乾燥で無機質で、受験に必要だから仕方なく読んでおり、強制されなければ絶対読まないような本と思っている。

 

もう1人にとってはそれは物語で、読めば読むほど知らない事が溢れてきて、魅力的で凄いキャラクターがどんどん出てきて、世界が広がってワクワクするようなビックリ面白ボックスみたいに思っている。

 

どちらが本の内容を深く理解し、事細かに記憶しており、結果として成績が上がっていくのかは明白だと思います。

 

しかし、多くの場合、教科書はつまらないものであり、学校はつまらないものであり、それは当然の事と思っているから。

 

もっと面白い本は無いのか?

もっと面白い学校は無いのか?

もっと面白い先生はいないのか?

 

という疑問ばかりになります。

 

これが間違っている訳と言いたいのではなく、考え方が1次元的であると言えます。

 

もう1つの次元から、

 

簡単に言えばもう1つの角度から観れば、

 

教科書の面白みを観ることができなくなっている、自分自身の"認識"に問題がある可能性を考えるべきです。

 

後者のように教科書を観ることができれば、平坦な学習ではなく、波があり、抑揚があり、感情の動きを伴った楽しい学習になります。

 

そうなると自然に物事の理解は深まり、記憶も深まります。

 

結局は学ぶ人の"感動センス"が最も重要な要素です。そのセンスはつまり"認識"から来るものですが、高ければ高いほど、どんな教科書であれ、先生であれ、学校であれ、学習者は物凄い吸収力を発揮します。

 

そういう人は果てし無く賢くなっていきます。

 

教科書に感動する事ができない、感情の動きが伴わないのならば、

 

自分がかけているメガネによって物事を独断と偏見で観察しており、曇ってしまっている、と考えた方が良いです。

 

それは教科書だけでなく、人に対しても発揮するので、人間関係においても問題になります。

 

では、その"認識"を変化させるためにはどうすれば良いのでしょうか。

 

"認識"は様々な経験の中で偶発的に変化していくことはありますが、

 

意識的に、100%の再現性を持って変化させていくには、その技術を学ぶしかありません。

 

その技術は"認識技術"と言います。あるいは、観点を変化させる技術として、"観術"とも言います。

 

この技術は、人の認識を精密に理解し、誰でも自由自在に自らの認識を変化させることを可能にする技術です。

 

これからの学校で取り入れなければならない要素はこれにあると考えています。

 

良い学校

良い先生

良いテキスト

良い認識

 

によって未来の学校は完成します。