世界の構成要素は"存在"ではなく"認識"

日常から宇宙の根源まで。認識技術で語る世界。

目で見ると人間は1人。本当に1か?

人間の身体は本当に1個体なのか?

 

確かに目で見れば繋がっているように見えるけれど、

 

内面は自己の分離が激しく起きているのでないだろうか?

 

頭が考えることと、

 

喉が考えることと、

 

心臓が考えることと、

 

腸が考えることと、

 

性器が考えることは

 

みんなバラバラで、統率なんて全然取れて無いんじゃないか?

 

ということは身体1つの中に、臓器という他民族が複数住んでおり、身体とは他民族国家なのではないだろうか。

 

性器が倫理、道徳なんて考えない。

 

論理と感情はいつもぶつかり合い。

 

食欲や性欲は突如として発生し、

 

頭はそれをコントロールしようとする。

 

いつも身体や精神は戦争状態。

 

それらの統一国家を作ることが、

 

究極の健康かな。

 

 

"成績"を上げたいなら"認識"を変化させること

学校の成績を上げるうえで、"認識"の変化がどれほど大事なのか、ということを書いてみようと思います。

 

まず、例え話しから。

 

例えば、同じ教科書を2人の生徒が読んでいたとします。

 

1人はその教科書を、何の面白みもない、無味乾燥で無機質で、受験に必要だから仕方なく読んでおり、強制されなければ絶対読まないような本と思っている。

 

もう1人にとってはそれは物語で、読めば読むほど知らない事が溢れてきて、魅力的で凄いキャラクターがどんどん出てきて、世界が広がってワクワクするようなビックリ面白ボックスみたいに思っている。

 

どちらが本の内容を深く理解し、事細かに記憶しており、結果として成績が上がっていくのかは明白だと思います。

 

しかし、多くの場合、教科書はつまらないものであり、学校はつまらないものであり、それは当然の事と思っているから。

 

もっと面白い本は無いのか?

もっと面白い学校は無いのか?

もっと面白い先生はいないのか?

 

という疑問ばかりになります。

 

これが間違っている訳と言いたいのではなく、考え方が1次元的であると言えます。

 

もう1つの次元から、

 

簡単に言えばもう1つの角度から観れば、

 

教科書の面白みを観ることができなくなっている、自分自身の"認識"に問題がある可能性を考えるべきです。

 

後者のように教科書を観ることができれば、平坦な学習ではなく、波があり、抑揚があり、感情の動きを伴った楽しい学習になります。

 

そうなると自然に物事の理解は深まり、記憶も深まります。

 

結局は学ぶ人の"感動センス"が最も重要な要素です。そのセンスはつまり"認識"から来るものですが、高ければ高いほど、どんな教科書であれ、先生であれ、学校であれ、学習者は物凄い吸収力を発揮します。

 

そういう人は果てし無く賢くなっていきます。

 

教科書に感動する事ができない、感情の動きが伴わないのならば、

 

自分がかけているメガネによって物事を独断と偏見で観察しており、曇ってしまっている、と考えた方が良いです。

 

それは教科書だけでなく、人に対しても発揮するので、人間関係においても問題になります。

 

では、その"認識"を変化させるためにはどうすれば良いのでしょうか。

 

"認識"は様々な経験の中で偶発的に変化していくことはありますが、

 

意識的に、100%の再現性を持って変化させていくには、その技術を学ぶしかありません。

 

その技術は"認識技術"と言います。あるいは、観点を変化させる技術として、"観術"とも言います。

 

この技術は、人の認識を精密に理解し、誰でも自由自在に自らの認識を変化させることを可能にする技術です。

 

これからの学校で取り入れなければならない要素はこれにあると考えています。

 

良い学校

良い先生

良いテキスト

良い認識

 

によって未来の学校は完成します。

 

 

 

 

 

 

 

思われても、思わなければ現実は起こらない

誰かがあなたの事を奴隷のように思ったとしても、あなたがあなたを奴隷だと思わなければ奴隷にはならない。

 

誰かが機械のように思ったとしても、あなたがあなたを機械と思わなければ機械にはならない。

 

蔑まれたとしても、あなたがあなたを蔑まなければ、蔑んでいるとは言えない。

 

逆に

 

あなたが凄い人だと思われたとしても、あなたがあなたを凄い人だと思わなければ凄い人ではない。

 

あなたが神だと思われたとしても、あなたがあなたを神だと思わなければ神ではない。

 

逆に

 

あなたがあなたを凄い人だと思ったとしても、あなたが凄い人だと思われなければ凄い人ではない。

 

このようにして認識が現実を創ります。

 

 

 

しくみだいがく入試問題

しくみだいがく入試問題

大問①日常総合問題

(1)あなたがいま所属している組織を1つ選択し、その組織の価値または存在意義、その中での自分の価値または存在意義を答えて下さい。

(2)(1)の組織の問題点とその原因を答えて下さい。

(3)(2)その組織の問題を解決した先の理想の組織を描写して下さい。図や絵を用いても構いません。

(4)あなたが感じている人間関係のストレスを2つ挙げて下さい。1つ目は既に解決したもの、2つ目はまだ未解決のもので答えて下さい。また、解決したものはどのように解決したかまで書いて下さい。

(5)あなたが1つの問題を解決したことによって周りにどのような影響を与えたかを答えて下さい。


大問②自分

(1)真っ暗闇の空間にあなたがいます。
そこには光も物も生き物も人間も時間もエネルギーもありません。自分だけがいます。そのような時、あなたは何を考え、どのような気持ちになり、何をするのか、答えて下さい。


(2)(1)のような状況の中で、何か1つを創りだすことができるとしたら何を創りますか?また、創った後にどのようにするか答えて下さい。

(3)(2)で1つ創りだしたものはなぜ創ることができましたか?答えて下さい。

大問③人間関係

(1)人と人とのコミュニケーションを"お互いに何かを交換すること"とします。
最も理想とするコミュニケーションをしている1人の人物をイメージして、その人に対して何を提供し、その人から何を享受しているのか答えて下さい。またなぜその交換をしているのかも答えて下さい。

(2)その交換を社会全体で全ての人がしたとすると、どのような社会が形成されますか?答えて下さい。

(3)(1)では、コミュニケーションを"お互いに何かを交換すること"と規定しました。これ以外でコミュニケーションを規定し、その根拠を答えて下さい。

大問④時代

(1)近代と近代以前の違いを明確にし、近代とはどのような時代かを答えて下さい。

(2)"近代"の次はどのような時代になるかを答えて下さい。

(3)なぜ、どのように時代が変わるのかを物語って下さい。また、その際に時代の変化に最も重要なモノを明確にして下さい。

大問⑤宇宙

(1)"植物"を科学的な観点と、それ以外の観点からそれぞれ規定して下さい。
(2)"動物"を科学的な観点と、それ以外の観点からそれぞれ規定して下さい。

(3)未来に技術が発展して、惑星間を自由に行き来出来るようになった時、人は何をするべきかを答えて下さい。

 

 

"犬"はなぜ可愛くて美しく、愛されるのか

犬に限らず猫もそうだけれど、

 

可愛いかったり、カッコよかったり、キレいだったり、ブサイクだったりします。

 

これはなぜ?

 

シンプルに考えると、それは人間が見るからです。

 

もしカエルが見れば、可愛いくもなく、カッコよくもなく、キレいでもなく、ブサイクでもないでしょう。というかそんな風に見る概念もない。

 

では犬が白かったり、黒かったり、茶色だったり、模様があったり、フワフワしてたり、ゴワゴワしてたりするのはなぜ?

 

それも人間の目で見たり、人間の手で触れるからですね。

 

カエルの目で見たり、カエルの手で触れたりしても多少の違いはあるかもしれませんがそこまで識別しないでしょう。カエルが積極的に犬を見たり触ったりも普通はしません。

 

カエルにとっては、"動物"とか"犬"とかいう概念も無ければ、興味も無いし、ただ漠然と近づくと危険な存在にしか写ってないと思います。

 

もしこの世に人間がいなければ、"犬"という存在は、危険な存在か、犬同士であれば子孫を残す対象であったり、一緒に狩りをする仲間であったりする存在にとどまることでしょう。

 

人間の登場によって、より細かく識別される存在となった犬は、可愛いかったり、嗅覚が鋭いと褒められ、フワフワやゴワゴワになったり、様々な色を身に付けたりするようになります。

 

つまり"犬"をより繊細に識別する存在の登場によって、犬の新しい意味、価値、可能性が爆発的な広がりを見せています。

 

それは犬だけでなく、全ての存在に言えると思います。

 

"人間"自体も、その人間を認識する存在に起因して、新しい意味、価値、可能性が広がります。

 

ということは、人間そのものを新しく捉え直し、これまでとは全く違うように人間を認識をする存在が登場すれば、"人間"という存在も大きく変化するということになります。

 

そのようなことが今最も必要なことだと思いまふ。

いま高校で最優先で追加すべき科目は"AI"

高校生になるとそろそろ生徒は進路決定をしなければならない時期になる。

 

自分の将来の夢、やりたいこと、仕事など様々な情報に触れながら決定することになる。

 

そんな時、決定する際の判断基準は人それぞれだと思うけれど、最も重要なこととは何だろうか?

 

それを考えた時に、僕が絶対に必要だと思う基準は「AIにできるかどうか」だ。

 

特にいま仕事を決定する際にその観点を無しに仕事を決定するのは非常に危険だと思う。

 

AIにできることを子供が将来の仕事で選択し、それを目指そうとしているのならば止めないといけない。

 

その子は必ず後々に絶望することになる。

 

AIにできないことを仕事として選択しなければ、その子の社会的ニーズは無くなり、将来的に存在意義を保てなくなり病むことになる。

 

だからこそ、AIとは何なのか?を正式な科目として設定し学ばなければならない。

 

AIとは何なのかを理解し、AIが出来る事と出来ない事を明確に分け、その上で自分の進路を決定すべきだ。

 

例えば事務的な仕事など、人と接しない仕事などは相当に危うい。工場勤務など単純な仕事ほど危うい。

 

そういう事を正確に理解し、今後のことを考えられるようにする。

 

現状では学校では教えないので、家庭あるいは塾が教えていかないといけないだろう。

 

うん。やっぱり学校つくろ。

 

 

無機質で色味の無い今の勉強の仕方


英語も国語も文法の背景には、人間の伝えたい気持ちがある。その気持ち、言葉に隠れた主張を理解しないまま文法のみを覚えてしまう。必要最低限で効率よく覚えて点に繋げる、とても無機質な勉強の仕方であり、人間味がない。
まず自分が相手に伝えたいことがあり、そのことを表現するための手段としての英語、国語なのだから、学べば学ぶほど自分の表現は豊かになり、より多くの事を正確に伝えることができるようになる喜びがある。

でもその喜びが生徒に伝わることがない。

 

数学では日常とは離れた抽象的なところで思考をし、計算をし、その結果が日常に戻ってきて繋がり役に立つという楽しさがある。しかも数式の計算に関してはノートの上でルールに従って計算していくだけで、答えを導くので、人の理解の必要性を排除する凄さがある。

その楽しさや凄さも伝わることがない。

 

理科では、物質、植物、動物を細分化して認識し、細かく機能別に分けることによってそれぞれの役割を見出す。また、部分同士がどのように連携を取ったり、役割分担をしているのかを発見し様々な事象の理解を深めていく。

その中で、物質の共通性、生物の共通性、また物質と生物の枠を超えた共通性が見つかることもあり知的好奇心が刺激される。

ただし、その面白さは伝わらない。

 

社会では歴史や地理、今の社会の仕組みなど世の中の全体像を学ぶことができる。過去を学ぶことで今を理解し、自分を理解し、未来の方向性を見出すことができるようになる。

ただし、その有用性は理解されることがない。

 

受験合格がゴールになれば、その科目の本質に出会うことが無くなるだろう。

教育現場はゆゆしき事態です。