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「新しい価値」を生み出す「新素材」とは?


今はどのような時代なのか、「素材」の観点からそんな事をテーマに書いてみようと思います。



半導体



その素材の発見によってIT社会は到来しました。



それにより、今まで人間がしていた事をパターン化させ、自動的に機械が作業していく事が可能になりました。



なので、あらゆる物事がどんどん便利に速く、効率化されていくようになり



その進化の延長にAI社会が到来する事になります。



時代が進むにつれて仕事が自動化されていくスピードも早まり



今では人間がする事は無くなるのでは?という意見が出るほどになりました。



いまこの瞬間あなたがやっている仕事は、いずれ自動化され機械が行うようになります。



また自動化するだけでなく、それらを発展、拡張していく事までも可能なのです。



それがIT社会の特徴であり、「半導体」の機能でもあります。



なので人間はこれから先、常に新しい仕事、新しい価値を生み出せるようになる必要性が出てきます。



仕事=価値を生み出す事



と定義するならば



①:誰かが作った仕事を効率的に素早く正確にこなしたり、発展させる能力ではなく、
(1→∞)


②:0から新しい仕事を創る能力の方が必要となります。
(0→1)


①はAIが最も得意とする分野で、いずれ人間は全く歯が立たなくなります。



なので相対的に②が重要になってくるのです。



ですが、日本の教育ではまだまだ①を高めようとする傾向がとても強いです。



なので、自ら意識的に②を高めるためにはどうすれば?と考える必要性が出てきます。



ここで素材の観点からもう一度考えます。



半導体」という素材の発見によって、仕事を効率化、自動化、安定的に発展、拡張をする事が可能になりました。



では、安定的に0から新しい仕事、新しい価値を生み出し続ける事ができるためには?



それは、新しい「素材」の発見が必要になると言えます。



0から1を生み出すクリエイティブを持続的に可能とする人材が、未来に生き残る人です。



そんなクリエイティブを可能とさせる「素材」とは一体なんでしょう。



まず、素材と聞くと物質的な物を想像すると思います。



ですが、ここではその固定概念を一度置いてみて下さい。



新しい仕事、新しい価値、クリエイティブが生み出されるためには



「新しいイメージ」が必要になります。



スマートフォンが世の中に現れたのは、スティーブジョブズの頭の中にスマートフォンのイメージがあったからです。



なので「新しいイメージ」を生み出す元とは何か?言うなればイメージの素材とは何か?



つまり、その「新素材」を発見し、応用活用する事が



0→1を生み出すクリエイティブなスペシャリストになる道と言えます。



言い変えるならその「新素材」とは「物質」では無く、「概念」となります。



しかも誰でも理解出来る、客観的な「概念」でなければなりません。



言うなれば「メタ概念」です。



その機能は、新しいイメージを生み出すことです。



なので、現象的なところからいくら探しても見つかる事はありません。



その「新素材」を発見するには、



全てのあらゆるイメージの元素であり、イメージの抽象度を上げていき、より本質的に観たり、イメージの背景を観ようとする探し方でないと見つかりません。



そして最終的に新素材である「メタ概念」を発見します。



発見した後は、それをどのように応用、活用していくのか?というステップになり、



それの達人になればなるほど、新しいイメージを持続的に生み出せるようになり、0→1のクリエイティブな人材に成長していきます。



こうなれば、AIから仕事を奪われるという心配は一切無くなります。



ちなみに、自力でこの新素材を発見しようとすれば、多大な労力と時間とお金がかかります。



なので、既に発見している人に実際に会って共有してもらうのが一番早いです。



本質的な追求や、抽象度の高いイメージを持っている人と実際に会う事はとてもとても大事なのでぜひしてみて下さい。


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大川真




「体感」の危険性と「論理」の重要性


人が何かを理解する時に、勉強して頭で論理的に理解していく場合と、実際に見たり感じたり、身体で理解していく場合の2つに分かれると思います。



前者よりも後者の方がより強力に印象に残り、深く学ぶ事ができると思います。



この身体感覚で得る「体感」はとても人間に影響やショックを与えやすいので、人生の方向性を決定付けます。



学校で習った勉強の内容というよりも、今までの人間関係や何かとの出会いによって感動したりショックを受けた事の方が人生の転機になりやすいと思いませんか?



また、様々な神秘体験などを経るとそこに強力なエクスタシーを感じ、とても印象的な経験として記憶に残ります。



瞑想や祈り、修行や様々な方法を通じてとても不思議な体験、神秘な体験をすることができますが



宗教などの集団になると、よりこのような事が実現しやすくなります。



では、タイトルに「体感」の危険性と書いていますが、何が危険なのかと言いますと



その「体感」がとても心地よいので、またそれを求めるようになるということです。



スピリチュアルな世界でもそうですが、1度そのショックな体験をすると、もう一度体験したいという欲求が生まれ



いつの間にか"執着"が生まれていき、人生の目的がそのエクスタシーを感じることになります。



現実に対する諦めや絶望が深い人ほどそこに興味を持ち、執着が生まれやすいです。



また、神秘な体験をする事で、私達は特別な人間だ、凄い人間だ、という"傲慢さ"にも繋がっていきます。



危険性というのは、この"執着"と"傲慢さ"になります。



そして人とは一線を画し、現実から離れたようなフワフワとした生き方になりやすいです。



ですが、不思議な体験、神秘体験をする事が悪いと言っているのではありません。それは実際に喜びや元気を与えてくれるものです。



まず、そのような体験とは一体何なのか?なぜ起こっているのか?
それらを論理的に理解しておくことが大切だという事です。



そうしておけば、極端に神格化したり、快感に囚われたりすることなどが無くなります。



それらを理解しないまま、「体感」を求めていくと危険な道に入っていくことになります。


執着→依存→傲慢さ


と深まっていくと、次第に排他性が生まれていきます。


排他性が生まれてくると、攻撃性が生まれ争いに繋がります。


ですが、「体感」も大事ですね、順番で言えば①「論理」②「体感」のステップで進んでいく事が良いです。

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「考え」ブレーキと「感情」アクセルの関係。「行動」が出来ない理由。


人は何かをやりたい!、何かをしたい!と思っても素直にそれをする事が簡単ではありません。


なぜならその「感情」のアクセルと同時に、「考え」のブレーキを必ず持ち合わせているからです。


この「考え」は環境によって自動的に作られていきます。


成長すればするほど、学べば学ぶほどこの「考え」は複雑化していき、人は「行動」を制限していきます。


簡単に言えば、行動力が無くなり新しいチャレンジが出来なくなっていくのです。


「考え」が少なく「行動力」が高い子供と、「考え」が多く「行動力」が低い大人を比較してみるとわかりやすいでしょう。


その考えの中でも、代表的なブレーキを2つ例にあげます。

①「物事が思った通りにいくはずがない」

②「人に迷惑をかけてはいけない」


この2つが大変強力です。

これは一見当たり前と思うかもしれませんが、その当たり前と思っている事自体が問題になります。


これが当たり前と思う人がいれば、ぜひオススメなのが


1.「物事は思った通りにしかならない」という観点を持っている人に会う

2.「迷惑」という概念が無い国に行く

これを実践してみて下さい。きっとショックを受けると思います。


もちろん、この①と②以外にも、人それぞれ様々な「考え」のブレーキをつくります。


そしてこの「考え」のブレーキと同時に、「感情」のアクセルも構築していきます。


この「感情」アクセルも環境によって作られていきます。


これも代表的なアクセルを2つ例に挙げておきます。


①「物事を思った通りに進めたい!」

②「自分のやりたい事をやりたい!」


「考え」ブレーキに打ち勝って、この「感情」アクセルに沿って生きられる人は一般的に成功者と言われるようになります。


しかし、実はここにさらに深い問題が隠れています。


この「感情」アクセルさえも、自分の意志によって作ったものではなく、環境によって作られたものであることです。


つまり、「考え」ブレーキと「感情」アクセルの中を行ったり来たりして、それを人生の中で死ぬまで繰り返します。


表現を変えると、生まれた時と場所、育った条件によって人生が全て決定されており、運命論の中で生きる事になります。


それはあなたの人生が、人や国、社会システム、メディアなどに支配されやすい事を意味していて、されていたとしても気付く事が難しいし、気付いたとしてもいきなり変えられるものでもありません。


なのでそこに対して問題意識を持つことがとても大切です。

もちろんそこから抜け出す道はありますが、まずは自分の「考え」ブレーキと「感情」アクセルを意識化する事が第1ステップです。

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"アイデア"は生み出す事は簡単だが、消すことが難しい


人間はとてもクリエイティブな生き物なので、いつもいつも様々な"アイデア"を生み出しています。

イデアをグーグル検索すると、
『アイデア=(新たな始まる)物事の中核となる考え』
とでます。

多くの人が
"良いアイデアを生み出すためにはどうすれば?"
と考えていると思います。

そのために勉強し、色んな体験を経て自分の思想や発想を体系化していって、それを形にしていくために行動を起こします。

その過程で様々な限界や壁と出会うので、それを越えられる人もいれば諦めてしまう人もいるでしょう。

人は生きていく過程で情報知識や経験を集め、そこから様々なアイデアを構築し、そのアイデアに基づいて行動します。

言い方を変えれば、そのアイデアの範囲が人の行動範囲となり、その範囲は過去に依存している状態と言えます。

過去の情報知識体験を基にアイデアを生み出し、その範囲で行動するので、逆に言えばそこから外に行く事が出来なくなります。

•私は何が出来て何が出来ないか
•これはやって良いがこれはやってはダメ。
•あの人とは付き合うが、この人とは付き合わない。

イデアを生み出せば生み出すほど、自分の行動範囲は決定されていき自らを縛っていきます。

実はそこに問題が潜んでいます。

それは1度決定されたものからなかなか自由になることができないという事です。

イデアは生み出す事が出来ても消す事がとても難しいからです。

表現を変えれば"0になる"事が難しいんです。

"消し方"を身につけて0になれるようになると、アイデアを創造したり、破壊したり、これまでよりも自由自在な動きが可能になっていきます。

逆に消す方をせずに生み出す事ばかりしていると、自分のアイデアに執着が生まれていき、その考えを絶対視したり、手放せなくなっていくのです。

その結果、自分のアイデアと相手のアイデアで衝突したり、他人をジャッジして攻撃したり、拒否する行動へと繋がっていきます。


特にいまの大量情報社会においては、アイデアの多様性が広がり、より相手と分かり合う事が困難となり、人間関係が難しくなっていくのです。

恋愛、結婚、仕事においても昔より単純では無くなってしまっています。

なので、相対的に今"0になる"必要性が高まってきています。

凄く簡単に言うと、

「自分の考えを手放して、相手の言う事を素直に聞く」

これが口で言うのは簡単ですが凄く難しいです。

これを本当にやろうと思ったら、自分のアイデアを0化する技術と、0になって相手の話しを聞く技術をちゃんと学ばなければ不可能です。

良いアイデアを生み出す事はもちろん大事ですが、生み出したアイデアを消そうとする事も同じくらい大事です。

ちなみに、忘れる事と消す事は違いますよ。

ぜひ意識してみて下さい。

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大川真


"存在意義"の大事さと、感じるために必要なこと


人間は生きていく上で、"存在意義"を感じることはとても大事な要素となります。

普段、存在意義感じたいー!と思う事はそんなに無いとは思いますが、何か調子の悪い時は

「自分なんていらないんじゃないか」

「自分がいなくなっても何も変わらない」

「私は社会や家族、友達に必要とされているのか?」

と思う時はありませんか?

そんな時、明確に確信を持ってその考えに対して反論が出来るでしょうか。

出来なければ、自信を持って生きる事が難しいでしょう。

出来たとしても、これからどんどん反論する事が難しくなっていきます。なぜならAIが登場しているからです。それに関してはまた後ほど詳しく語ります。

人は恋愛や結婚、仕事、勉強して専門性を身につけたり、自分の使命を見つけたりしながら、人に必要とされ自分の存在意義を確固たるものにしようとします。

それが確固たればたるほど、エネルギーが大きくなりモチベーションが上がります。

例えば会社の中で、

①自分は会社の一部の歯車であり、いつでも代わりが効く存在だ

と思っている人と、

②自分は会社の未来を切り開いている最先端におり、唯一無二の存在だ

と思っている人では全くエネルギーの大きさが異なり、モチベーションが違います。


今までは人間同士で、①から②になるための競争が行われていました。

それが、IT社会の到来によってその競争に大きく変化が起こりました。

それは簡単に言うと

人間対人間

から

人間対ロボット

になったということです。

つまり、人間がやっていた仕事が技術の発展に伴って自動化されていく事を意味しています。

今までの仕事は人間ではなくロボットがするようになり、人間は新しい仕事を開拓していく事が求められていくようになります。

もちろん、まだ人間の方が出来る事が多いのですぐに仕事が無くなってしまうという事ではありません。

ただし、時間の問題という事です。

そして近年、ディープラーニングを搭載しているAIの登場によって、自動化のスピードは飛躍的に高まりました。

2018年には人間の脳と並び

2045年には人類全体よりも賢いIQ10000のAIが登場すると言われています。

農業、工業、サービス業、医療、化学、物理、芸術、全ての分野で浸透していきます。

この時代の流れの中で、最も恐ろしいのは、"人間の存在意義の破壊"です。いまも徐々に徐々に進んでいっています。

人間全員が①になってしまう事でもあります。

だから、今大事なのは"AIには出来なくて人間にしか出来ない事"を発見することです。

Q.AIに出来ない事とは?

Q人間にしか出来ない事とは?

これが確固たる存在意義を保つために必要な事です。

もしこの質問に答えられなければ、自分の存在意義が残酷なまでに破壊されていきます。

まさにこの時代の宿題みたいなものですね。

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大川真





カルマとは何か?なぜ必要なのか?

 

仏教用語で''カルマ''という言葉を聞いた事がある人は多くいると思います。
 
''業''などとも言われますが、この記事ではこれについて語りますね。
 
カルマはもう少しわかりやすく言い換えると''人生課題''とも言えます。
 
その人が人生において解決するべき課題と言う事です。
 
学校の宿題みたいなものです。
 
自分は何のために生まれてきたんだろう…
 
と1度は考えた事がありませんか?
 
ここでは、その答えとして「カルマ(人生課題)を解決するため」と規定します。
 
カルマには深さがあり、大きく分けて3段階あります。
 
1.個人のカルマ
 
2.日本人共通のカルマ
 
3.人間共通のカルマ
 
これをそれぞれ説明していきます。
 
①個人のカルマ
これは人それぞれ特有のカルマで、幼少期の体験を経て作られていきます。0~12歳までの間、まだ未熟な判断基準を持っている頃に様々なショックな体験を経ることで、''自分とはこういう人間である''と決めつけていきます。そのイメージが無意識深くに残り、そのイメージから離れる事が出来なくなります。
 
②日本人共通のカルマ
これは国毎の特有のカルマです。日本人なら誰しもが持っています。一言で言うなら、「人に迷惑をかけてはいけない」です。この考えから自由になる事が出来ません。
 
③人間共通のカルマ
これは人間であるなら誰しもが持っているカルマです。これも一言で言うなら、「人生は苦である」この考えから自由になる事が出来ません。
 
このカルマによって、人生の範囲または人生の質が決定されます。
 
カルマを放置しておくと、その決定された範囲の中でしか生きる事が出来ません。
 
逆に言えばカルマを解決した時、その範囲の外側の世界で生きる事ができます。
 
これがカルマを解決する必要性です。
 
また自分のカルマを解決すると、同じカルマを持つ人も解決してあげる事ができます。
 
それがその人の''仕事''になります。
 
つまり、解決したカルマはその人の''価値''となって、その価値を与える仕事が出来るようになります。
 
カルマの解決は生きている間しかチャンスはありません。
死んだとしても何の解決にもならず、また最初からやり直しになります。
 
ただ今の社会の現状はそこにほぼ関心が向かず、「物質的な欲求を満たす高さの成功」に向いています。
 
なので解決以前の問題で、自分のカルマが何なのかもわからず、そこを探そうとする人もほとんどいません。
 
これからは「精神的な欲求を満たす深さの成功」の方向性にどんどん向いていく事と思います。
 
なので今一度立ち止まってみて、自分の人生を振り返ってみることをオススメします。
 
 
 
 
 
 

現代教育に対する怒りをoutputしました(♯`∧´)

今日音楽を聴きながら、無意識にある大きな怒りが凄く意識化されました。


それは、今の日本教育に対する怒り


人間は本来とてもクリエイティブで知的好奇心あふれる生き物です。


特に子供の時、若い時は


何を見ても何を聞いてもその全てから様々な知恵をどんどん吸収して何からでも学びとります。


勉強なんかしようと思わなくても、何してても意欲的なので勝手に勉強にするから努力なんて全くいりませんよ。


それなのに、子供の関心を無視したまま、今の社会に適合するように、必要性も明確でない知識を子供達に詰め込む教育はもう終わりにしたい。


昔はその教育が必要だったのは分かりますが、今はもう早く変化しなければなりません。


今の教育が子供の知的好奇心とクリエイティビティを破壊し続けている事を認識しなければならないし、


それに対して立ち上がらないとヤバイですよ。


もうマジで学校行く意味がわからないし、行ってる人もわからないんじゃないでしょうか。


こんな事もう本当に終わらせたい!!