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無機質で色味の無い今の勉強の仕方


英語も国語も文法の背景には、人間の伝えたい気持ちがある。その気持ち、言葉に隠れた主張を理解しないまま文法のみを覚えてしまう。必要最低限で効率よく覚えて点に繋げる、とても無機質な勉強の仕方であり、人間味がない。
まず自分が相手に伝えたいことがあり、そのことを表現するための手段としての英語、国語なのだから、学べば学ぶほど自分の表現は豊かになり、より多くの事を正確に伝えることができるようになる喜びがある。

でもその喜びが生徒に伝わることがない。

 

数学では日常とは離れた抽象的なところで思考をし、計算をし、その結果が日常に戻ってきて繋がり役に立つという楽しさがある。しかも数式の計算に関してはノートの上でルールに従って計算していくだけで、答えを導くので、人の理解の必要性を排除する凄さがある。

その楽しさや凄さも伝わることがない。

 

理科では、物質、植物、動物を細分化して認識し、細かく機能別に分けることによってそれぞれの役割を見出す。また、部分同士がどのように連携を取ったり、役割分担をしているのかを発見し様々な事象の理解を深めていく。

その中で、物質の共通性、生物の共通性、また物質と生物の枠を超えた共通性が見つかることもあり知的好奇心が刺激される。

ただし、その面白さは伝わらない。

 

社会では歴史や地理、今の社会の仕組みなど世の中の全体像を学ぶことができる。過去を学ぶことで今を理解し、自分を理解し、未来の方向性を見出すことができるようになる。

ただし、その有用性は理解されることがない。

 

受験合格がゴールになれば、その科目の本質に出会うことが無くなるだろう。

教育現場はゆゆしき事態です。

知識を伝達することが教育じゃ無いのでは?

"知識"を伝達することの意味の無さを感じる。

 

教育って、何かを人に教えるってイメージが強いから知識の伝達みたいに捉えると思う。

 

でもそれってだんだん価値が薄くなってるなと。

 

これだけ社会の変化が大きくなってきている時に、その知識はまだ使えますか??と思うし、賞味期限実は切れてるんじゃないかとも思う時がよくある。

 

常識が通用しなくなる時代で、年の功が功を奏さないということは起こりうるだろうな。

 

時代を超えて普遍的な知識を得るというのなら良いかもだけどね。

 

学校では知識そのものを貰うというより、"新しい知識の創り方"を学ぶ方が良いと思う。

 

今の時代を踏まえて、自分の人生と照らし合わせて、何が問題なのかを考えて、その問題を解決するための知識を自ら創りだせるようになること。

 

それが理想人材でしょう。

 

それは個々の気付きの質だし、知識の質。

 

そうやって気付きの質を高めること、知識を生み出すことが次世代の人間の仕事になると思っています。

 

新しい知識を生み出すためには、

 

新しい気付きが必要で、

 

新しい気付きを得るには、

 

新しい視点が必要です。

 

これからの学校は新しい視点を集めて共有して新しい気付きをどんどん生み出していくことをメインの学びにしたら良いなと思います。

 

 

 

 

 

"国際化"で必要になってくる能力

国際化しているから英語を学ぶことが必要とよく言われます。

 

でも僕が思っている次世代の人材が必要な能力とはこれだけじゃないと思っています。

 

なぜ英語を学ぶのか?と聞かれた時、わりと外国人と話す実用性の観点から答えを出されることが多いです。

 

でも英語を話せる実用性だけ考えるなら、AI翻訳で十分なのではないかと思ってしまいます。

 

とりあえず、"国際化"の時代に必要なことをずらっと上げてみます。

1.言語の習得(話す道具と考える道具)

2.世界規模で考えるチカラ

3.国を越えても通じる知識

4.多様な意見の受容

5.表現の客観性

6.迷わないための軸

7.自国の特徴

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上げればきりが無くなりますが、簡単に言えば大変になるということですね。

1から話すと、

言語をただ話すために学ぶのはとてももったいないです。

言語は考えるための道具でもあります。日本人は日本語を使って考えるし、韓国人はハングルを使って考えます。

言語がその人の人格形成に大いに影響していることは想像に難しくありません。

だから、英語を学ぶことは考え方を変えることでもあるし、話すことが客観性を帯びてきたり、論理的に話せるようになったり、意識を変えていくことにも多いに役立ちます。

国際化社会においては、多言語を学ぶことは非常に大きな価値となると考えています。

日本語で考え、日本文化の元で、日本的な感覚で外国を見て、外国の事をわかった気になってしまうのは失礼だと思います。

様々な言語を学ぶことで、それをきっかけにその国の背景を知ることとなり、理解することが可能になり、だから共存していく道が考えられるのではなかろうか。

平和的に国際化をするために、そういった学びが必要と思いますし、むしろそれが無かったら争いが増えるだけだろうなと。

 

商品の"普遍性"が価値になる

誰にでも役に立って

 

誰にでも簡単に使えて

 

人にも説明しやすくてわかりやすいもの

 

そういうのを"普遍性"とします

 

一言で言うなら、全てに通じる性質ですね

 

その普遍性の高さが商品の価値に直結します

 

スマートフォンのように

 

高ければ高いほど売れるポテンシャルは大きいです

 

では、普遍性を高めるにはどうすれば良いでしょう

 

それは一重に、本質の理解にあります

 

物事の本質を理解すればするほど

 

その人の発する言葉、行動、生み出す商品の普遍性は高まります

 

多くの共感を得られるでしょう

 

究極的には、どんな存在でも通じるような真理がわかれば

 

究極的に普遍性の高い商品を生み出せるということですね

 

なのでよく売れます

 

"本質の理解"と"仕事"はこのように直結するので

 

働き方を考える上で、本質的追求は重要な要素となります

 

 

 

働き方の変化は当たり前の時代、重要なのは変化の"方向性"とスピード

この時代において、

 

変化すること、変化しなければならないことというのはもはや常識となっています

 

その上で、じゃあ①どのように変化すれば良いか

 

また②持続的に変化し続け、かつ変化の加速度を上げるためにはどうすれば良いか

 

その2つの質問から、働き方を考えます

 

今日の記事では①をまず考えてみましょう

 

どのように変化すれば良いかを考えるには

 

何を変化すれば良いかを決めなければなりません

 

見た目や内面、モノ、パートナー、

 

様々あると思います

 

これは何を選択するべきでしょうか

 

自分が解決したこと、成功したことを基準に考えてみて下さい

 

基本的に人はいつも変化し続けています

 

変化することに成功しています

 

変化したという事実自体があなたの商品です

 

では、何をどう変化させ、なぜそれは可能だったのでしょうか

 

それが明確でなければ売ることはできません

 

そしてその変化はその人の人生において必要なのかどうかもハッキリさせなければなりません

 

あらゆる人にとって重要な変化とは

 

"滞留"から"循環"です

 

簡単に言えば、汚れで詰まっている部分をスッキリさせてスルスル通るようにさせるということです

 

これが大事な変化の方向性です

 

 

 

 

 

 

 

"塾"の必要性、"学校"との違い

教育業界において、"塾"とはどのような立ち位置なのでしょうか

 

"学校"との違いを理解しながらその必要性を説明します

 

まず国が、少子化や情報化、グローバル化など、今の社会の変化に適応できる人材を育てるために

 

学習指導要領をつくり、それを元に学校は運営されていきます

 

小学校、中学校、高校とそれぞれの間に

 

習得すべき単元は決められており、それを完全に習得した状態で

 

社会に出て働けば社会に適応できるという流れを想定しています

 

ですが、ここで問題となることが2つあります

 

1つは"完全に習得"することが難しいということです

 

現状は個人によってできる人とできない人で"差"がどんどん広がっています

 

ですので、結局習得できないまま社会に出て、

 

うまく適応することができないという事態が起きています

 

その"差"を取っていくのが"塾"の役割です

 

つまり、完全に習得できるサポートをすることが仕事となります

 

その対象としては、小学生、中学生、高校生、大学生、社会人

 

全ての人にとって必要です

 

2つ目の問題は、その学習指導要領だけで十分かどうかです

 

社会の変化が激しいと言われている中で、

 

1人1人に求められているものは大きくなり、また不明確になりつつあります

 

未来の不確定性が大きいので、今後必要となる人材の理想像も不明確に

 

なってしまいます

 

なので、学習指導要領に記載されてあることを習得しておけば大丈夫ということではなく

 

自ら未来を予測し、何が必要なのかを考えていかなければなりません

 

そのようなことを議論する"場"を創り出すことが"塾"のもう一つの役割なのです

 

 

 

 

 

 

 

 

楽な働き方とは?そもそも楽を目指すのはダメ?

楽を目指すというのは日本では敬遠されがちですね

 

日本の価値判断では

 

「楽をする」=✖️、「苦しむ」=◯

 

となります

 

では、仕事をする上で楽とはどういうことか細かく考えて見ましょう

 

まず2つの軸で考えます

 

それは、仕事をこなせる量と実際にこなす量です

 

こなせる量よりも、こなす量が多ければ苦です

 

こなせる量よりも、こなす量が少なければ楽ですね

 

なので、こなす量を少なくすれば楽になっていきますがl

 

周りからは批難されます

 

ですので、こなせる量を増やして楽になっていく方が周りからは批難されにくいです

 

そう考えれば、楽になりたければ自己成長をすることとなり

 

仕事をこなすスピード、体力、を伸ばすことです

 

もう一つの苦の原因としては人間関係があります

 

これは一重に「気にしない能力」と「忘却能力」次第です

 

人から何かを言われたり、されたりして、

 

"気"にした瞬間に苦しみが始まります

 

そしてそれを忘れられなければ苦しみは続いていきます

 

人間関係の中で、気にした事と忘れられない事が蓄積していって

 

どんどん苦しみが重くなり、最終的に病むようになります

 

なので楽になりたいのであれば、仕事をこなせる量を増やすこと、「気にしない能力」と「忘れる能力」を養うことがポイントです