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「体感」の危険性と「論理」の重要性


人が何かを理解する時に、勉強して頭で論理的に理解していく場合と、実際に見たり感じたり、身体で理解していく場合の2つに分かれると思います。



前者よりも後者の方がより強力に印象に残り、深く学ぶ事ができると思います。



この身体感覚で得る「体感」はとても人間に影響やショックを与えやすいので、人生の方向性を決定付けます。



学校で習った勉強の内容というよりも、今までの人間関係や何かとの出会いによって感動したりショックを受けた事の方が人生の転機になりやすいと思いませんか?



また、様々な神秘体験などを経るとそこに強力なエクスタシーを感じ、とても印象的な経験として記憶に残ります。



瞑想や祈り、修行や様々な方法を通じてとても不思議な体験、神秘な体験をすることができますが



宗教などの集団になると、よりこのような事が実現しやすくなります。



では、タイトルに「体感」の危険性と書いていますが、何が危険なのかと言いますと



その「体感」がとても心地よいので、またそれを求めるようになるということです。



スピリチュアルな世界でもそうですが、1度そのショックな体験をすると、もう一度体験したいという欲求が生まれ



いつの間にか"執着"が生まれていき、人生の目的がそのエクスタシーを感じることになります。



現実に対する諦めや絶望が深い人ほどそこに興味を持ち、執着が生まれやすいです。



また、神秘な体験をする事で、私達は特別な人間だ、凄い人間だ、という"傲慢さ"にも繋がっていきます。



危険性というのは、この"執着"と"傲慢さ"になります。



そして人とは一線を画し、現実から離れたようなフワフワとした生き方になりやすいです。



ですが、不思議な体験、神秘体験をする事が悪いと言っているのではありません。それは実際に喜びや元気を与えてくれるものです。



まず、そのような体験とは一体何なのか?なぜ起こっているのか?
それらを論理的に理解しておくことが大切だという事です。



そうしておけば、極端に神格化したり、快感に囚われたりすることなどが無くなります。



それらを理解しないまま、「体感」を求めていくと危険な道に入っていくことになります。


執着→依存→傲慢さ


と深まっていくと、次第に排他性が生まれていきます。


排他性が生まれてくると、攻撃性が生まれ争いに繋がります。


ですが、「体感」も大事ですね、順番で言えば①「論理」②「体感」のステップで進んでいく事が良いです。

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