“脳”の限界を補うblog

“暗記言語”に潜む不完全性を補って、正しい意思決定を出来るようにするブログです!

十字架を背負って、免罪符を買う生き方の限界

僕が5歳の頃、交通事故にあった。

 

その時に父は十字架を背負ったのだと思う。

 

責任感の強い人だから、それを背負うことは辞めないかもしれない。

 

一度逃げ出した場所に戻るとき、

 

誰もが十字架を背負ってしまう。

 

一生かけて償う。

 

親に迷惑をかけて、

 

大人になって親孝行する。

 

辞めることができないのは、

 

自分自身が原因だ。

 

正直おかしいと思う。

 

もうゆるせば良いのに…

 

いつまで縛りあいをするのか。

 

許す余地が無くなってしまっている。今の限界。

 

人は人生で罪を犯し続けてて、

 

償った人にだけ発言権があるのか?

 

どれだけ苦労してるかが問題なのか?

 

99%の苦痛が1%の楽しさを作り出す。

 

その1%の果実を求めることに、もう疲れても良いんじゃないか。

 

100%楽しんでは駄目なのか。

 

いつまで縛り合いなんだ。

 

罪なんてものは最初から最後まで無い。

 

あるのはそう思うようにする、人間の約束体系だ。

 

罪と十字架と免罪符システムは、昔からずっと変わらない。

 

そのシステムはもう捨てるべきでしょう。