価値が無いのか、価値を感じることができていないのか。
Q.人間が認識活動を行う際に使う道具とは何か?
A.脳と身体
この脳と身体を使うというのは、当たり前過ぎるように思うかもしれませんが、普段”使ってる”意識はほとんど無いと思います。
使うのが当たり前、そしてそれを使って判断したものは絶対正しいと思い込むのが人間です。絶対正しいのなら、その脳と身体は完全な道具ということになりますね。
いやいや、そんな事はありません。
脳と身体にも機能的な限界はあります。
その限界を意識化することなく、ほとんどの人は仕事や日常生活を送っています。
その結果どうなるかというと、1人の時は自己否定、人といる時は他者否定、組織に属せば環境否定で忙しく、いつも疲れ、不安とイライラでいっぱいになっていきます。
私は学生の頃、社会に対して何も貢献できていない感覚、必要とされていない感覚、社会と繋がっていない感覚に苛まれ、激しく自己否定をしていました。人と会えば、相手のできていない所に目がいって否定し、相手と比較して自分を否定し、こんな環境を作り出している社会を否定していました。いつも否定ばかりしている生活は非常に苦しく、最終的に病んでしまい家に閉じこもりました。
自己否定は止めようと思って止められるものではありません。どうしていつもこうなのか…そう悩んでいた時に、ある人と会って原因を理解することができました。その原因は、前述した脳の機能的限界でした。これまでそこに対して問題意識を向けた事がなかったので、当時はかなり衝撃的でした。
脳の認識はとても部分的で、全体を認識することが苦手です。価値が無い、そう思ったとしても、その無いという判断をした脳そのものを疑う視点が必要です。それは価値があるけれども、認識できていないだけかもしれません。
脳と身体はいったい、どこからどこまで認識することができるのでしょうか。
そういった事をテーマに考えてみましょう。