大学生の頃、どうして世の中は”競争社会”なのか?と思いました。
こんにちは。
今日は私の過去と今とこれからについてこのブログで語っていきます。
私は4人兄弟の末っ子長男として育ちました。
姉とは年が離れており、一緒に遊んだりするよりは1人でゲームをするのが好きな子供でした。姉からはとても可愛いがられましたが、当時の私にとっては可愛いがられたり、からかわれたりすることは、なんだか見下されてバカにされている感覚でした。とは言っても口でも腕でも勝てないので、1人で黙々とゲームしている方が楽だし楽しかったです。
5歳の頃に交通事故に会いました。左足を車に轢かれてしまい、手術を4回以上して、なんとか歩いたり走ったりすることに支障はなかったのですが大きな傷跡が残りました。これもその当時はショックが大きく、誰にも左足を見られたくない羞恥心と劣等感を大きく感じたのを覚えています。
そんな経験もあって、私はとにかく人に見下されたり、バカにされたりすることが本当に嫌でした。小学生の時などは、なんでこんなに人は人の事をバカにするのかって疑問でした。だからこそ、勉強や運動の努力をしなければならないと頑張ってきました。
そうやっていつも生きてきて、大学受験に失敗した時も、自分の実力はこんなものではないと認めず、浪人して勉強のみを全力で頑張りました。大学に入っても部活動を週6で頑張って、就職活動の時も最も厳しいとされるところへ面接に行き、内定を貰いました。
でも努力こそが正義だと思って頑張っても、疲れてしまって結局怠けたり、体調を崩したり、そんな自分はダメだと自分を責めたり、それで悩んでしまって動けなくなりました。本当に時々結果が出るときはあるけれど、なんでいつもこんなに上手くいかないのか…て思ってました。
私は大学卒業時、就職せずに大学院に進学しています。就職活動の時にそのきっかけがありました。中学生に入れば、受験の競争が始まり、大学に入れば就活の競争、社会人になっても生存競争はずっと続きます。なんで世の中はこんなに競争社会なんでしょうか。それが大学3年生の時の疑問です。
なんで、いつもいつも人と差をつけて、自分が優位に立つための競争を全ての人が強いられているのか?それが物凄い違和感だったんです。だから、それが大学院になった私の重要なテーマでした。
大学院に入ってから、私は座学だけでなく多くの人と会うようにしました。色んな境遇の学校の外側にいる人の話しをたくさん聞きたかったんです。しかし調べるなら調べるほど、多くの人の話しを聞けば聞くほど様々な意見があり、本当なのか嘘なのか、何が正しいの間違っているのかも分からず、ただただわからないことが増えるだけでした。
そのうち、あまりにもわからな過ぎて、もう考えること自体が嫌になり、ずっとボーっとしている状態が続いていました。大学院1年生の終わりには、何事もやる気が起きない無気力状態で、全てがどうでもいいと思っていました。ずーっとこの状態が続くと思うと凄い絶望感を感じて、ただ起きて寝ての繰り返しをしていました。
しかし、その状態がずっと続くことはありませんでした。ある時に、ある人と出会って転機が訪れました。
続く